作永きみが学校を辞めたことを祖母の作永紫乃に言い出せず、半年以上も学校に通っているふりをして隠していた理由。
作品情報
作品 | 映画「きみの色」 |
監督 | 山田尚子 |
脚本 | 吉田玲子 |
公開日 | 2024年8月30日 |
主題歌 | Mr.Children「in the pocket」 |
制作会社 | サイエンスSARU |
プロフィール
作永 紫乃
Shino Sakunaga
・六十代後半
・虹光女子高校OG
・シングルマザー
・市立病院の医療事務を定年
・週6日、そば屋でパート
・孫のきみと二人暮らし
祖母との暮らし
きみはトツ子のように寮ではなく、祖母の家から虹光女子高校に通っている。
校門を出ると坂道を下って、路面電車に乗りこんだ。降車するのは終点の駅だった。 繁華街を少し歩くと住宅街に出る。
築年数は40年以上になる純和風の家。2階はきみの部屋があり、その隣に祖母の寝室がある。
坂の多い街の中でも特別に急な坂の上にあるのがきみの家だった。
元々は兄も含めた3人で暮らしていたが、兄が出ていき今の暮らしになった。
お弁当
きみがすでに退学届を提出していることを知らない祖母は、変わらず毎日、パートに出かける前に弁当を作っておいてくれる。
いってらっしゃい。お弁当、テーブルの上ね
うん。ありがとう
きみの声のトーンが少し下がった。だが人に気づかれるほどの変化ではない。
きみは後ろめたさを感じつつ、お弁当を受け取る。素直に感謝の言葉を言えない。
ゴールデンウィークは聖歌隊の部活があると紫乃に言って、ほぼ毎日出かけていたが実際にはアルバイトのためだ。
紫乃は休日も制服を着て、家出ていく孫をまったく疑っておらず高校に行っているものと思っている。
梅雨
きみの部屋は2階にあり、帰宅するとリビングで夕食の準備をしている紫乃とすれ違う。
きみちゃん、聖歌隊の練習だった?
練習じゃないけど……ちょっと……
嘘は嘘を呼ぶ。それが嫌できみは言葉を濁した。
そう
着替えてくるね
きみは紫乃に学校の話題を聞かれる度に、嘘を重ねるのを避けるため早々に会話を切り上げていた。
一度目の告白
きみと紫乃はいつも同じテーブルで夕食を一緒に食べている。退学してから数ヶ月。きみは学校に行っていないことを隠し続けるのに限界を感じていた。
おばあちゃん……
ん?
あのね……
なあに?
紫乃の明るい笑顔がやはりまぶしい。 きみは学校を退学したことを紫乃に告げようと決意していたのだ。これ以上、紫乃に嘘をつき続けることにきみは耐えられなくなっていた。
前もって伝えることを決心していても、祖母を前にして結局言い出すことができなかった。
だが紫乃の笑みを見ていると、その決意がみるみる溶けていってしまう。
やっぱりなんでもない……
いつも優しい笑顔を向けてくれる祖母に悲しい顔をさせたくなかったから。そんな顔をみて、耐えられそうにもなかった。
制服
きみが学校を辞めてからしばらく経ち、季節が変わろうとしていた。
制服
煮物に箸を伸ばしていたきみは身を硬くした。箸が空中で止まって少し震えていた。
紫乃から制服を話題を出され、学校に行っていないことがバレたのかと、一瞬動揺するきみ。
もうすぐ夏服でしょ。春服、クリーニングに出さなきゃね
うん
きみちゃんがおばあちゃんと同じ制服を着るなんてねぇ
もう何度か聞かされた話だったが、今は意味が違って聞こえる。きみは胸を締めつけられるような気分になった。
昔は少し誇らしく感じていた祖母の感慨が、今となっては最悪感を募らせるばかりとなる。
虹光女子高校OG
中学での内申点と実力テストから、志望校を決めるとき、紫乃が通った虹女が候補の一つにあがったのだ。
紫乃は孫のきみが後輩として、自分と同じ道を歩んでいることに喜びを感じていた。
それを紫乃はとても喜んでくれた。 ほぼ同じ学力レベルの公立高校も受験予定だったが、紫乃の母校である虹女を選択したのだ。
きみは記憶を遡り、2年生以上前の進路選択の時期を思い起こす。
もしあのとき、公立高校を選択していたら、退学することはなかったろうか? だが退学した理由は〝学校〟ではなく、きみの問題だった。
いまの居場所が正しかったのか、やり直せたら違う選択をしていただろうか。
食後、部屋に戻ったきみは壁にかけた制服を長い時間見つめていた。
初夏
きみちゃんも夏休み、はじまるよね?
うん
紫乃が何気なしに問いかけた。 きみは動揺しそうになった。
どこか連れていってあげたいんだけど。パート休めそうにないのよ
大丈夫だよ。私もいろいろあるから
ありがと。あ、いろいろって聖歌隊のこと?
きみは返事に困った。学校を辞めてアルバイトをしていることも、バンドをはじめたことも紫乃には言えないままだ。
きみが退学したことを知った紫乃の気持ちを想像するとますます言えなくなってしまう。
聖歌隊、大変だねぇ。でも、前にね、校長先生が言ってた
きみちゃんになら、うちの聖歌隊まかせられるって。きみちゃんは立派だよ
紫乃の言葉にきみの顔から笑みがはがれてしまった。
高校に通っていた頃のきみは、誰から見てもたしかに立派だったかもしれない。でもいまは聖歌隊の部長も辞めて、高校を中退して、進路も決まってない。
机に突っ伏したままで、きみは独り言をつぶやいた。
おばあちゃん、私はそんな"立派"な人間じゃないよ
きみは自分がめちゃくちゃな状態にいることを自覚している。
立派だと勘違いされ、正反対の評価をされていることが、余計にきみが事実を伝えることを阻む障害になっている。
たった一人の友人
しろねこ堂の店先での会話。きみはトツ子に祖母に学校を辞めたことを隠していると打ち明けた。
きみちゃん、何回もきいてごめんね。なにかあった?
ううん
あ、そうだ。私、来週……
修学旅行、だよね
うん
トツ子・・・・・・引かないで、聞いてくれる?
うん
私まだ、おばあちゃんに学校辞めたこと、言えてないんだ
修学旅行の間は、どこかに家出しよっかな
トツ子はかける言葉を見つけられなかった。
さすがに修学旅行の間は家に帰るわけにもいかず、どこか寝泊りできる場所を見つけなければいけない。そのことがこれまで以上にきみの心を悩ませていた。
なんか、おばあちゃんに本当のこと言うのが、恐い
(どうしよう・・・・・・)
傷つけちゃう……
理由がなんであれ、学校を辞めるような思いを抱えた孫娘の気持ちを察せずにいたことを知れば、きみの祖母はきっと傷つく。
トツ子はきみの祖母に対する気持ちを推し量ろうとするも何も言葉が出なかった。
それをきみは恐れている。そして、もうきみは引き返すことができない状態になっている。
後にトツ子は、きみに落ち込んでいる訳をしつこく聞き出そうとしたことを後悔する。
祖母の優しさ
トツ子の提案で、修学旅行中は寮で過ごすことにしたきみ。紫乃はきみが修学旅行に行く準備をしてくれている。
ジャケットどうする? 日光は寒かったって覚えがあるの。ジャケットがあった方がいいんじゃない?
ううん、秋服だけで大丈夫。いざとなったらパーカーも持っていくし
修学旅行中は〝授業の一環〟だからって、私服は禁止されてたんじゃない?
.......うん。ジャケットを持っていくよ
それがいいわ。明日取りにいってくるから
ありがとう。ごめんね
他に足りないものない? 下着とかソックスとか……パジャマは新品あったよね。一度洗濯しておいた方がいいから籠に入れといて……
きみは心苦しくて紫乃の顔を見られなかった。
きみが学校に行かなくなってからすでに半年が経とうとしているが、紫乃は疑うようなことは一度もなかった。
トツ子、背中を押す
トツ子が普段寝ている2段ベッドの下の段。そのベットにトツ子ときみの2人は並んで腰掛ける。
おばあちゃんに話した方がいいと思う
もし恐かったら、私が一緒についていくから
うん
帰ったら、おばあちゃんに話す。ありがとう、トツ子
きみが長らく抱えていたもやもやを解消するため、トツ子はおばあちゃんに打ち明けるよう説得した。
祖母の紫乃には、虹女から帰宅してすぐにきみはすべてを語った。紫乃は驚いてはいたが、叱るようなことはなかった。
ごめんなさい
ううん
「なぜきみは私に相談さえしなかったのだろう」と紫乃が思っているであろうことは間違いないときみは感じていた。
そして紫乃は「きみを挫折させてしまった」と自分を責めているのではないか……。
信頼
教会でクリスマスの演奏練習をしていたしろねこ堂メンバー。きみとトツ子は船が欠航し、帰れなくなってしまった。
今まで紫乃はきみの言葉を疑うようなことはまるでなかった。だが、きみが学校を密かに辞めていたことで、紫乃はきみの言葉を信じられなくなっているのだろう。
きみは紫乃にそのことを伝えるが、紫乃は本当に欠航しているか調べてから返事をした。
きみは大切なものをなくしてしまったような気がして悲しくなった。
望んでいたことではないにしろ、きみはずっと学校に行ってるふりをして紫乃を騙していた。その事実は、きみと紫乃の信頼関係に大きなひびを刻んだ。
バンド活動
きみは紫乃に話があると申しでた。 ダイニングテーブルを挟んできみと紫乃は向き合って座っていた。
ずっと黙っててごめん
・・・
心配かけてごめんね
・・・
隠し事してごめんね
・・・
実は、私、バンド組んでて、今度演奏するんだ。すごく楽しいの。見に来てくれる?
・・・
思い切って告げたきみの言葉は虚しく消えていく。流しに水滴がポタリと垂れる音がやけに大きく聞こえた。紫乃が動いた。席を立って料理の続きを作りはじめたのだ。
ごめんね
きみが退学した事実を伝えてから2人の関係は険悪とまではいかないまでも変化していた。
紫乃にしてみれば聖歌隊も学校も辞めて何をしているかと思えば、バンドを組んでることを告白された。きみからの急な誘いに紫乃は何も返事できなかった。
聖バレンタイン祭
バンドを組んでいることを知らされた直後は、肯定的に受け入れることができなかった紫乃だが、きみの演奏を観に行くことにした。
女性がひときわ大きな声で「愛してるよ~」と叫んで片手を突き上げた。
その女性を見て、それまでまさに"やってやるぜ!"をやり切ってロックンロール魂全開だったきみが急に照れたようにかわいらしく笑った。
演奏に夢中になり、楽しげ歌っている様子を見て、家では見せていなかった本当のきみの姿を知る。
祖母として、保護者として、孫に期待していた人生とは違っていたが、自由に羽ばたこうとするきみを心から応援することを誓う。
<引用> 著:佐野晶、原作「きみの色」製作委員会『小説 きみの色』宝島社